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カテゴリー別アーカイブ: 独り言

アゲラタムの花言葉は。。。

ご無沙汰しております。

夏に書こうと思っておりましたが、冬になってしまいました。
県知事選挙が終わった後に、再度書こうと思っておりましたが、また伸びてしまいました。
と、思っていたら、もう春の陽気です。3月ですが、日中はもう初夏がやってくる勢いですね。

あちらこちらに綺麗な花が目に惹くようになりました。道路沿いであったり、民家であったり、様々なところで花壇を目にすることがあると思います。

以前であれば「黒木さんちの芝桜」と言えば、「新富町の上新田のあそこでしょ」なんて話が出てきました。ネットを利用すれば、知る人ぞ知る隠れ名所も出てくるかもしれません。個人宅での撮影には注意しましょう。無断侵入・撮影は問題がありますし、花壇の手入れをしていると「天国のようにきれいな花畑ですね」と声をかけてきた方が、これから花を咲かせる花卉を踏みつぶしていたなんて話を聞いたことがあります(何も知らないと草と見分けがつかない可能性も、球根が埋められている可能性もあります)。

 

【感謝の気持ちを伝える花】
花はふとした瞬間に心の琴線に触れる力があります。それは単なる美しさだけではない生命宿るものがもつ力だと思います。

血は流れていなくても、地に根を生やし、体内には流体物があります。運動があり、伝達があります。

 

取引先の関係で弊社が花を植えている花壇があるのですが、ある初夏に青いアゲラタムを植えました(他の花も植えていますが、割愛)。そうしたら何故か草が生えない日が続きました。

秋が終わる頃、花の植え替えに立ち寄ると、声をかけてこられる方がいました。その方は近所で牛の畜産業を営んでいる方でした。

平成22年の口蹄疫は本当に大変で、多くの人の助けがあったから現在があるのだと話されました。それは10年たった今でも感謝しても感謝しきれないくらいの思いで、その思いを何かで示したいと思っていたそうです。
この青いアゲラタムが目に入ったとき、何とも言えない愛おしさに溢れたそうで、青いアゲラタムの世話をすることが感謝の思いを示すことになると感じたそうです。

 

【花言葉】
アゲラタム(ageratum)はギリシャ語で不老です。日本で越冬は難しいのですが、初夏から晩秋まで花を咲かせてくれます。暖かい国では多年草で、毎年長い期間、花を咲かすことから不老の名を持っているのでしょう。そこから、信頼、安泰といった花言葉がつけられています。特に青い花の方に信頼という花言葉がついているようです。

2022年は傷ついてばかりでした。そんな折、久しぶりにこの時の畜産農家の方にお会いしました。アゲラタムのことを思い出して、信じて信じて悩みながらも折れずに何らかの花を咲かせ続けたいと思い起こさせてもらえました。

 

【癒されたアキレス】
アゲラタム自体はキク亜科のヒヨドリバナ連カッコウアザミ(アゲラタム)属になるようですが、属が違う種類にキク亜科のキク連ノコギリソウ(アキレア)属はアキレア・アゲラタムという名がついています。アキレア・アゲラタムはアキレス腱で有名なアキレウスが瀕死の状態のときに癒したようです。ただ治癒しきれずにそのまま死んでしまったわけですが、アゲラタムがこうして現代で現実において心を癒してくれたことが不思議です。
そのあたりのことも思うと、口蹄疫で傷ついた畜産農家の方がアゲラタムに惹かれたのは、単なる偶然なのか、アゲラタムが引き寄せたのか、、、色々と思う次第です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

人と人とのやりとり

皆既月食ご覧になられましたか? 天王星食ご覧になられましたか?

普段と違った目、心持ちで空を見上げ、非日常を味わえるひとときがあることは幸いなことです。そして、同じものを、いろんな場所の人々がワクワクしながら見ていた時間があることに、幸せの在り方を見つける何かを感じてなりません。
私は一時こうした広報部のお手伝いをしていたことがあるので、こうしたニュースを説明している専門家をみるとき、広報部のあの方はもう退いたのかな、一緒に星空を解説した彼の某プロジェクトはどうなったかなとも思います。

かつての友人や関わった人々のことを想うことは、人生の豊かさを感じることでもあります。

私は仕事をするとき、縁を大事にしたいと思っております。もちろんビジネスとして利益追求が第一義的になくてはいけませんし、口下手なので(と思ってしまうこと自体、意識してしまうので駄目なんでしょうが)もっと弊社のことを伝えられることがあったはずだとか、もっとお客様のことを理解するために話を聞きだすことができたはずだとか、、、東の木星を見ながら反省しています。

ひとつ取引先を失えば、そこまでずっと関わっていただいた様々な人々を裏切ってしまった気がします。
現在の取引の形というのは、最初と違って、色々な創意工夫や気遣いの積み重ねで出来上がっていきます。色々な思いが詰まっています。
会社が赤字になってまで失わないようにするかと言われれば違うでしょうし、多くの情報非対称性を解消できる交渉の術を持てなかった部分があることもあり己を憎むべきこともあるでしょうが、色々な思いを守れなかったことが悲しいです。
そう思うことも勝手なんでしょうが。。。
金額だけの問題であれば、私たちの無形の遺産が残るかもしれません。

これからも何ができるか、何を残せるか、私たちがどう生きていくか、問い続けなければなりません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

有限会社アイ・エス・オー 長友

農民芸術概論綱要(宮沢賢治)

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

(中略)

世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ
感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と
諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる
機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり
練意了って表現し 定案成れば完成せらる
無意識即から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である
髪を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つきを見よ
なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

GODISNOWHERE

God is nowhere.

 

マッチ擦る
つかのま
海に
霧ふかし
身捨つるほどの

祖国はありや

                       (寺山修司)

 

愛国心・家族愛とそこから至る平和への切望、、、それはあまりにも純粋で美しく、透き通れば透き通るほど言いようのない深い哀しみに襲われます。そして、これがスクリーンの向こう側ではなく、現実に、同じ地球上で起こっていることに対して、ただただ祈るしかできないのか、、、

 

おこたらず
祈る手向けの
言の葉は
おろかなるをも
神や受くらむ

                         (霊元天皇)

 

God is now here.

未来への一歩

今年は新しい設備が稼働します。

少しずつブログ上でも説明していきますが、原理もコスト面の採算性も簡単に納得いかないかもしれません。
少なくとも原理は高校化学の教科書に載っている内容を少し掘り下げれば直感的な理解はできることですし、変な言い方になりますが、弊社が騙されていなければ採算性もとれます。
他社が利用して実績も十分な設備を前提に採算性だけ考えて選べば、他の方法があるかもしれません。もっと言えば、身の丈にあった投資でないかもしれません。失敗してもデータが得られるから、そこをもとに自社で開発できる規模の会社でもありません。
と、妙な言い回しでの新年最初のブログの書き出しになりました。

 

少なくとも油水分離の原理から導かれる漏出リスクは抑え込めているので、当面は想定通りの処理スピードや消耗品の交換スピードでいけるものか怯える日々が続きそうです。
損切も頭の片隅に置きながら、立ち止まる勇気も大事にして、着実に歩みたいです。
もちろん科学への絶対的信頼には人間の認識限界がある以上、油断は禁物ですが。

 

 

善きことはカタツムリの速度で動く           

(ガンディー『真の独立への道(ヒンド・スワラージ)』)

 

 

塩の行進のように否定されるところからのスタートは同じですが、鉄道という科学文明との対極という点では、弊社のものはより科学的で全否定されるであろうものですが。
正直、今回の設備が使い物にならない(採算が合わない)となれば、「インテリぶった若僧が、親の七光りで社長になった馬鹿息子のくせに勘違いして、ほら言わんことない」と誰かに笑われるかもしれません。
被害妄想すぎますかね。。。

 

それでも、未来に向けた一歩になると思っています。
悲劇の主人公気取りのナルシストではなく、こんな零細企業でも水資源問題ないしカーボンニュートラルに対してアプローチできることを。
ただ、ニッチな側面が強く、同業者や部品製造等でエマルション性含油廃水の存在を分かっていただける方しか問題意識の共有はできないかもしれません。
これはいつかブログで書くかもしれません。プラスチックリサイクルが簡単に水平リサイクルできると思われているのと同じです。

 

子どもの頃の純粋にそれが世界のすべてのように好きであれたもの(まっすぐに向き合えたもの)、大人になるにつれて忘れてしまうもの(失わずに成長できないもの)はあるでしょうか?

 

 

 

自分を裏切るまでは生き永らえたかった
(中略)
こうしたわたしの情熱がすべて覆されてしまうのであれば、わたしはいったいどうなるのだろう? そして、今のわたしはなんなのだろう?
(中略)

彼女が変わると、変わる前のもうひとりの彼女はどこへ消えるのだろうか。
(中略)
大人としての彼女は、今の彼女を覚えているだろうか。大人の彼女は今の彼女を馬鹿だと思うのだろうか。
(中略)
ほかのだれも自分に忠実でないのなら、せめてわたしだけでもわたしに忠誠をつくさねば。
(中略)
わたしだけは死ぬまで自分の自転車に乗りつづけ、自分にふさわしいこの通りを歩きつづけてやろう。
(中略)
彼女が立てた誓いのなかで肝心だったのは、誓いそのものを憶えておくという誓いだった。

アニー・ディラード『石に話すことを教える』

 

 

星の王子様は以前原語で引用したので、、、

私は今回の設備投資を私を失わないための道標と胸に刻んでおります。

今年もよろしくお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

秋をつかみ損ねて

お昼には汗をかくことはあるものの、朝夕はすっかり冷えてきました。
昨日のように雨が降ると単に長袖では鳥肌が立ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ、狂い咲きが桜やサツキに見られ、栄養が失われて旬の時期に元気がない状態にならないか心配になります。

秋ですが蚊も未だ多く、現在では蚊も秋の方が過ごしやすいのでは? と思います。太宰の哀蚊ももう少し先ですかね。

とりわけあの晩の哀蚊の御寝物語は、不思議と私には忘れることができないのでございます。そう言えばあれは確かに秋でございました。
「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻かいぶしは焚たかぬもの。不憫ふびんの故にな」
ああ、一言一句そのまんま私は記憶して居ります。

太宰治「葉」

狂い咲きよりも哀花の方が私にはしっくり来ます。
哀蚊の時は、通常は蚊取り線香を焚くのに、秋は我慢せよとなるのに対して、哀花の時は、通常は枯れるまで愛でるのに、秋は摘み取ることになるので、表面的な行動としては真逆な対応になりますが。

狂い咲きは葉の中で作られるはずのアブシジン酸がきちんとできていないことが原因のひとつでもあるので、剪定のタイミングや害虫防除等を考えることも必要かもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

九月はあおい空

あっという間に9月が終わりそうです。
それ以上に今年が終わりそうで、終わらせたい作業が間に合うか、、、
常に前に進みたいと思っていますが、荷物も多くなっているように思います。

 

マリー・Aの思い出 (ベルトルト・ブレヒト、野村修訳)      

九月はあおい空、その月のあの日に
ひっそりと、若いスモモの木の根もとに
あの子を、蒼いひっそりとしたこいびとを
ぼくは抱いた、優しいゆめを抱くように。
ぼくらの上にはすみきった夏空に
ひとひらの雲、じいっとぼくは見つめた
白くて、気のとおくなるほど高い雲、
また眼をあげると、もう消えてしまってた。

東京は渋谷、シネマライズで鑑賞した「善き人のためのソナタ」にも登場した詩。
盗聴していた秘密警察が、盗聴先の作家から盗んだブレヒトの詩集を朗読することで物語も心も動く。主人公の心も見ていた私たちの心も、、、たぶん。
あの日は何か徹夜で仕事をやり遂げて、ご褒美に大好きなシネマライズに行って、ポスターを眺めて「善き人のためのソナタ」に惹かれて。。。
ものすごく眠かったけど、その分、向こうの世界に行けたような気がした。

 

シネマライズはもうなくなりました。
1階が大好きでしたが、2階のみになって少し足が遠のき、、、宮崎に帰り、、、
最後に見た映画は何だったでしょうか。。。
直感で選んだ舞台挨拶付の映画で自分の席以外は関係者ばかりじゃないかと驚いたときもありました。

ランドマークだったHMVがなくなった衝撃は宮崎から山形屋がなくなるのと同じじゃないかと思いましたが、シネセゾン、今年にはアップリンク渋谷がなくなりました。
恵比寿ガーデンシネマも休館中です。友人たちと外で見た映画は良き思い出です。
ニューシネマパラダイスを見ると思い出します。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

アインシュタインの関係式(原子の実在性)

前回の話題に挙げた、アインシュタインの関係式を説明します。

例えば、水質汚染で汚染物質が液体で水中に拡散していく場合、拡散していくのが汚染物質の粒子(分子)であると設定し、当該現象の分析モデルを構築していく、、、と思います。
廃水処理をするのであれば、ブラックボックス化して数値から単に処理できると結論づけるよりも、理論的に組み立てて処理工程で起こっている現象を数式で記述できると安心できるのが、私の性格ですが、一般にみなさんはどうでしょうか。

今では当たり前のように物質を構成するのは分子ないし原子と義務教育でも習いますが、分子は目に見えないような小さなサイズです。従って、直接的に存在証明できません。しかし、分子を前提としてモデリングし算出された値が、実際に起こった現象の測定値と一致すれば、前提条件に間違いがない、分子は存在すると言えるでしょう。

アインシュタインの関係式がこの存在証明方法になります。水中拡散現象を分子の拡散運動としてモデリングし、それが正しいか測定できるようにしました。これによって、原子・分子が存在すると科学的に言えるようになったので、非常に大きな功績になりました。

金澤輝代士先生の「速習・確率過程入門~拡散現象のモデリング~」という講義ノートがウェブ上にありまして、こちらを参考にアインシュタインの関係式を説明していきます。

こちらを利用する理由はモデルでホワイトノイズ項を入れているからです。これは完全に私の好みの問題です(ここではノイズについて説明しません。きれいなバラツキ状態とでも思ってください)。

本稿ではノーテーション説明も省略します。乱暴に感じる記述も、ウェブ上のどこかにちゃんとした説明があるでしょうから、そこで補完してもらえれば。。。
それぞれの式は図示等の視覚化がしやすいので、イメージしながら数式の動きを楽しめると思います。

 

それでは、原子の実在を確認しましょう!

 

ブラウン運動する任意の粒子が時間tで位置xにいる確率をP(x,t)としたとき、(連続)確率密度関数で表す。

粒子数の質量保存則より、

レイノルズの輸送定理より空間積分と時間微分を交換

これが連続の式。1次元で考えているので

フィックの法則(流出量は濃度勾配に比例)が成り立つので

連続の式とフィックの法則の式より

ブラウン粒子の拡散現象の確率密度関数は正規分布に従う。
x(t)の初期条件をx(0)=0としたとき

これがデルタ関数の性質を満たすのであったり、フーリエ変換を使っていたりすることは金澤先生の資料の方で。

ランジュバン方程式(ブラウン粒子の運動方程式が水の粘性摩擦と水分子の衝突によるノイズで表せる)より

(ボルツマン定数はKB=R/NA、ホワイトノイズξG
表現を変えて

平均をとるとさらに両辺にxをかけると

であり、
1次元であるからエネルギー等分配則より

が成り立つので

この微分方程式を解く
と置く。

t=0でf=0より

fを積分してt=0で<x>2=0より

時定数は十分時間が経った(tが大きくなった)とき、ほとんど無視できるので

平均2乗変位より分散であるから

粒子が半径aの球とすれば

以上より、アボガドロ定数を以下のように表せる

右辺の全ての大きさは分かる、もしくは測定できるので、アボガドロ定数が分かります。これが成り立っていれば、原子・分子の存在を仮定することは間違っていないことが分かります(逆にアボガドロ定数が6.02×1023/molとして原子の半径を推定することができる)。

原子・分子を想定することで初めて質量保存則や運動方程式が描けるので、それらの式から導かれた値が現実の数値と一致することは、原子・分子の存在証明になるわけです。

ちなみに、アインシュタインの論文では浸透圧と摩擦力のつり合いから説明しています。
アインシュタインは「私の主目的は,一定の有限な大きさの原子の存在を確証する事実を発見することであった」と説明しています。

ブログに数式を載せるのは難しいですね。どう載せるのか。。。注釈で後述して流れを切らないのは見やすくはありますが、何となく今回はそれより前半は不必要に途中式を載せました。

原子の世界の続編があるかもしれません。

また修正加筆するか、何かリアクションを受けたらPDFファイルを入れます。
※1 微分方程式を解いて拡散係数を求める流れも大雑把ですが、加筆しました。
色々と参考にしたんですが、けっこう誤植やモデルに違和感があるものが散見されましたし、ランジュバン方程式が違うことで拡散係数に質量が入ったものもありましたね(そう言う私もミスがあるかもしれません)。微分方程式を教えるのが目的であれば、モデルの正確性は重要ではないでしょうし。解析学自体はそこそこやったものの、流体力学や統計力学を基礎から勉強したことはないし、アインシュタインの関係式を知ったのも最近なので、モデルの厳密性の議論や発展のさせ方についてはいつの日にか。。。粒子のサイズについては分析したいかもしれません。
それより、拡散モデルを発展させて分析したいですね。
取りあえず、雨の多かった盆休みに1歳児と戯れながら、自分なりに一生懸命頭の中でモデルの世界に潜り込んでインプットしていたので、8月中にアウトプットできてよかったです。

余談ですが、

とFokker-Plank方程式の形をしていれば、


になります。c=0にすれば本稿です。こっちの方が伊藤積分に慣れしたんだ方は安らぎを得ますかね?

それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

真ん中に

さて、そろそろこの流れ出る生を自ら満喫している風景を額縁にはめ込むことになった。
(中略)
そう、これが思い出となる、というのはあらかじめわかるものだ。
たった今しがた、強い夏の日射しの下で一面まぶしい光におおわれたボクらの世界も、もう、半分追憶の夏雲におおわれて、輝きを失った半透明の色彩の中でひっそりと静まり返っていた。
それはもうすっかり思い出の世界に入っていたのかもしれない。
誰だって、描こうとしない、描かれることのない、スケッチブックの一頁があるはずだ。
ボクはいつのまに描くのを止めていた。
でも気を取り直したシメ君は、夢中になって頭上の沸き立つ夏雲を描いていた。

(町田純『ヤンとシメの物語』)

いくら着替えてもすぐに汗びっしょりになる夏がやってきています。
真夏の草刈作業は靴下まで汗でびちょびちょです。
昨年は朝5時から朝9時までの早朝草刈もやりました。熱中症は避けたいものです。

わたしたちだって、今、この話をしている最中でさえ、もうすでに過去の幻影みたいなものなのよ
(中略)
あなたは未来の思い出の中に生きているわ。これから先も、きっと

(町田純『草原の祝祭-ヤンのヨールカ―』)

いくら時間があっても足らない毎日です。
でも、誰にも訪れる死への準備もしていきたいと思います。その一つは私にとって読書であり、お金(生活)を生み出さないものです。
研究していた時は朝から晩まで一つの事に専念していて時間の足らなさ、自身の能力や努力の限界を感じていましたが、現在は一つの事に専念できる連続した時間を得られる難しさを感じています。
水への汚染について、この1年ちょこちょこ論文を読んでいます。
拡散系だから昔とった杵柄でアインシュタイン方程式をさらさらやりたかったんですが、ごまかしながら勉強した気になっています。

未来では足りない
古いもの 新しいものでは足りない
永遠が 部屋の真ん中で
聖なる樅の木にならなくてはならない……        

(町田純『草原の祝祭-ヤンのヨールカ―』)

 

今日一日は、こんな気持ちの良い日は、せめて目を開けて見渡してくれないか。そして、じっと見つめてくれないか。この草原を、この森を。

(町田純『ヤンとシメの物語』)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友

年末年始 営業のご案内

たぶんそれは正しいとか正しくないとかいう基準では推しはかることのできない問題だったのだろう。つまり世の中には正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということだ。このような不条理性──と言っても構わないと思う─を回避するには、我々は実際には何ひとつとして選択してはないのだという立場をとる必要あるし、大体において僕はそんな風に考えて暮らしている。起こったことはもう起こったことだし、起こっていないことはまだ起こっていないことなのだ。

村上春樹『パン屋再襲撃』

 

年末年始の営業のご案内です。
ぎりぎりになって申し訳ないのですが、12月30日(水)~1月5日(火)は休ませていただきます。

今年も大変お世話になりました。来年もどうか是非宜しくお願い致します。

 

弊社は再資源化を目指しており、そのためにはお客様の分別作業や正確な情報提供が重要になっていきます。ヒューマンエラーはあります。それでも資源物として扱っていたものの、不純物が混ざっていたり、想定外のものであったりすれば、悪意なく汚染を生みます。つまり、他の資源物もすべて廃棄物化してしまうのです。だから、信頼関係が重要であり、私たちはお客様とのコミュニケーションを大事にしたいと考えています。

COVID-19という未曾有の世界的な大感染が起き、今なお、事態は深刻化しております。人間の慣れは順応化であり鈍感化であります。初期の恐怖心を持ったままでは精神が耐え切れない方がいるでしょう。だから、慣れは重要です。その一方で、いろいろな大義名分のもとに感染を広げる原因行動をしていきます。

何を得るのか、何を失うのか、いろんな物差しで、様々な天秤で測ります。合理的判断であるように行動するのか、直感的判断に従うのか。
生命の尊厳性をとるか、生命の質をとるか、、、となるほどの永久的1回性の意思決定問題ではないかもしれません。

何を選んでも、いくらかの喜びを得て、いくらかの犠牲を生みます。
未来は分かりません。
過去を正しく分析できるかも分かりません。

分からない、分からない、分からないの先に、「私が在るということ」が見つかることを願います。
進んで、進んで、進んだ先に、「私が在るということ」が見つかることを願います。

エヘイェ・アシェル・エへイェ (I am that I am)
(出エジプト記3章14節) 

今年も年を越せるであろうことに感謝し、来年を迎えられるであろうことに感謝します。

今年最後の投稿になるか分かりませんが、
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

(有)アイ・エス・オー 長友