木から林檎が落ちるのが引力で、身寄りのない男と女が雑踏の人ごみのなかで引き合うのがニュートンの法則だというなら、この世は引き合い求めあいの納豆さながら、糸地獄、切っても糸が切れる訳じゃない。じたばたするな、かくごをきめろ。糸を切るより、操ってみろ。糸を吐き出す蚕のように、親子兄弟親戚一同、引くとみせてはあやつられ、引かれると見せてはたぐりよせ、くるくるまわる血の色の因果応報糸車。
(寺山修司『邪宗門』劇中台詞より)
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新型コロナウイルスは怖いですね。
もし自分自身が新型コロナウイルスに感染していたら、誰によって感染させられたか猜疑心ばかりが大きくなりそうです。
何が正しいんでしょうか? 症状が出ていなくても新型コロナウイルスに感染していたクラスターを生む原因になりうります。ネズミ算のように増えているのが現況なんでしょう。
簡単に個人で感染の検査ができるようになったら、病院があふれかえります。重症患者が病院に行きつけなくなるリスクがあります。
追いつけない程、法整備から態勢作りまで、大量にやることがあるようです。
SARSがありました。MERSがありました。
リスクヘッジという点では3.11東日本大震災がありました。
歴史から学ぶことはあります。
最悪の事態を想定して行う(準備する)ことは、常時においては後塵を拝します。
資本主義と共産主義、グローバリゼーションとローカリゼーション、揺れ動く均衡点、波に揺られながら何が見えているのでしょうか。見たいものを見る、何を見てきたのでしょうか。
私は揺れ動きながら個の構成(表現)をおし進めて行った。失われた空間を取りもどすことによって背面も側面も生きづいてきた
大野一雄「言葉の断片」
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日常に戻るために何ができるか、それを意識して行動するしかできることはありません。
愛する人がいて、食べるものがあり、眠る場所がある
これだけで幸福が得られるはずなのに
誰もが愛し愛されることにたどり着かない
恋を繰り返し、魂を汚し、自己愛に帰結する
自分を守るために他人を悪く言い、傷つけ、いつも被害者意識があり、その総意として戦争を起こす
愛はあるのか…存在するのか…
ドラマ「最終話 LOVE」『世紀末の詩』より
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
有限会社アイ・エス・オー 長友